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渦巻トグロウ - 2026年9月21日
About This Title
ライフワークとして、自作の戦闘員には四桁のナンバリングを施しています。秘密結社の戦闘員らしく、同じ衣装と装備によって姿を揃え、一体ずつ番号を与え、最後には組織の名簿へ収めていく仕組みを自分の中ではかなり重要な要素として扱っています。
単にキャラクターを増やしていくのではなく、同じ規格の身体が次々と生まれ、それぞれが固有の番号を与えられて並べられていく。その反復そのものに、戦闘員フェティッシュの大きな魅力を感じています。番号が増えるほど同じ規格の身体が増殖し、個人の違いよりも統一された姿が前面へ出てくる。その状態を眺めながら、一体ずつ番号を追っていく感覚にも強く惹かれています。
四桁の番号には、人間を名前を持った個人から組織に所属する一個体へ変えてしまう働きがあります。たとえば田中さんだった人物が戦闘員0921号になれば、失われるのは名前だけではありません。どこで生まれ、何を仕事にし、誰と関わり、どのような人生を送ってきたのかという個人史までが、組織から見れば0921号という一つの管理単位へ圧縮されていきます。そこへ同じ衣装が与えられ、同じ装備を身につけ、同じ姿勢で並ぶことになると、もともとはそれぞれ違っていた人間の身体までが、反復可能な一体として見えてきます。
私が惹かれているのは、単なる記号化だけではありません。番号を与えられるまでには、名前を持つ人間が衣類を替え、装備を受け取り、外見を揃え、最後に個体番号によって分類されるという段階があります。その過程を重ねるほど、以前まで一人の人間として存在していた身体が、組織の中で扱いやすい一体へ変わっていきます。人間らしい差異が少しずつ削られ、同じ黒い姿の中へ収まっていく感覚と、その結果として一体ごとの番号だけが際立っていく状態に、私は強く惹かれています。顔や体格に個人差が残っていても、規格化された装備を身につけた瞬間に全体の印象が揃っていく。その身体の変化を番号による分類と一緒に眺められるところにも、独特の魅力があります。
この構造を継続しながら、以前からアントマンについても、さまざまな人間をアントマン化させてリスト化することを考えてきました。最初は戦闘員と同じようにアントマン0000号という方式を考えていましたが、考えていくほど数字とアントマンの存在感がうまく結びつかなくなりました。
人間由来の悪の秘密結社に所属する戦闘員であれば、人間だった人物に番号が与えられ、衣装や装備まで組織の規格へ揃えられたうえで、戦闘員という一個体へ置き換えられていく流れが自然です。そこでは人間が組織によって分類され、名簿へ収められること自体が重要になります。しかし、自分の中で想定しているドルゲは、単なる人間社会内部の秘密結社ではありません。人類という種そのものに敵性を持つ、より概念的な存在として捉えています。
そのため、アントマンに人間側の数字を付けてしまうと、そこへ人間が作った管理システムの匂いが残ってしまいます。戦闘員の場合には、その人間的な管理感覚こそが魅力になります。名前を失い、衣装を揃え、装備を統一され、最後に番号を与えられることで、もともとは別々の人生を持っていた人間が同じ規格の一体として並んでいくからです。
ところがアントマンでは、むしろその規格そのものをドルゲによって上書きしていくことに魅力があります。人間を人間の名簿へ登録するのではなく、人間社会の側で当然だと思われていた名前や身体のあり方、個人としての区別そのものが、ドルゲという異質な体系の中へ取り込まれていくのです。人間を組織の規格へ押し込むのではなく、人間社会の規格そのものが別の秩序によって塗り替えられていく。その違いが、アントマンを考えるうえでは重要になります。人間を並べて管理する視線ではなく、人間だったものが別の秩序へ取り込まれていく過程そのものを見ることになります。誰が何号なのかを確認するのではなく、そもそも人間として区別していたものが通用しなくなる。その感覚が、戦闘員とは異なるアントマンの魅力につながっています。
こうして考えると、戦闘員とアントマンは、人間を別の存在へ変えるという点では似ていても、その方向が逆なのだと思います。戦闘員は、人間を組織の名簿へ変換します。名前を持っていた人間から個人史を切り離し、同じ衣装と装備を与え、最後に番号を付けることで、秘密結社の中で反復可能な一個体へ変えていきます。人間だったという過去を消し去るほど、現在の番号と姿だけが強くなっていくわけです。
それに対してアントマンは、人間を名簿の一個体へ整理するというより、人間社会そのものをドルゲの体系へ引き込んでいく存在として考えたほうが、自分の中ではしっくりきます。そこでは人間が作った分類へ収まるのではなく、人間の側が異質な分類によって捉え直されていきます。人間としての名前や立場を残したまま怪異に加わるのではなく、そもそも人間を人間として理解するための枠組みまで変質していく。その感覚に、アントマンならではの怖さと魅力を感じています。
戦闘員には、同じ姿の者が何体も並び、それぞれに四桁の番号が割り当てられている状態があります。誰が誰であるかを示すものが名前ではなく番号になり、同じ装備を身につけた身体が名簿の上で一体ずつ管理されていくことで、人間が組織の部品へ変わっていく感覚が強まります。一方のアントマンでは、同じような個体が増えていくこと以上に、もともと人間だった存在が次々とドルゲ側の体系へ取り込まれ、人間社会とは別の規則で理解されるようになっていくことに意味があります。
つまり、戦闘員が人間を個体へ変える方法は、規格化して番号を与えることです。それによって人間は組織の一体として反復可能になります。それに対してアントマンが人間を変える方法は、人間の側の規格そのものを怪異によって上書きすることです。前者では人間が組織に合わせられ、後者では人間社会のほうが怪異の体系へ合わせられていきます。
同じ人間の変質を扱いながら、片方は人間を名簿の一個体へ変え、もう片方は人間社会そのものを別の体系へ変えていく。私はこの方向の違いを意識することで、戦闘員とアントマンをそれぞれ異なる個体化の形として考えられるようになりました。
ライフワークとして、自作の戦闘員には四桁のナンバリングを施しています。秘密結社の戦闘員らしく、同じ衣装と装備によって姿を揃え、一体ずつ番号を与え、最後には組織の名簿へ収めていく仕組みを自分の中ではかなり重要な要素として扱っています。
単にキャラクターを増やしていくのではなく、同じ規格の身体が次々と生まれ、それぞれが固有の番号を与えられて並べられていく。その反復そのものに、戦闘員フェティッシュの大きな魅力を感じています。番号が増えるほど同じ規格の身体が増殖し、個人の違いよりも統一された姿が前面へ出てくる。その状態を眺めながら、一体ずつ番号を追っていく感覚にも強く惹かれています。
四桁の番号には、人間を名前を持った個人から組織に所属する一個体へ変えてしまう働きがあります。たとえば田中さんだった人物が戦闘員0921号になれば、失われるのは名前だけではありません。どこで生まれ、何を仕事にし、誰と関わり、どのような人生を送ってきたのかという個人史までが、組織から見れば0921号という一つの管理単位へ圧縮されていきます。そこへ同じ衣装が与えられ、同じ装備を身につけ、同じ姿勢で並ぶことになると、もともとはそれぞれ違っていた人間の身体までが、反復可能な一体として見えてきます。
私が惹かれているのは、単なる記号化だけではありません。番号を与えられるまでには、名前を持つ人間が衣類を替え、装備を受け取り、外見を揃え、最後に個体番号によって分類されるという段階があります。その過程を重ねるほど、以前まで一人の人間として存在していた身体が、組織の中で扱いやすい一体へ変わっていきます。人間らしい差異が少しずつ削られ、同じ黒い姿の中へ収まっていく感覚と、その結果として一体ごとの番号だけが際立っていく状態に、私は強く惹かれています。顔や体格に個人差が残っていても、規格化された装備を身につけた瞬間に全体の印象が揃っていく。その身体の変化を番号による分類と一緒に眺められるところにも、独特の魅力があります。
この構造を継続しながら、以前からアントマンについても、さまざまな人間をアントマン化させてリスト化することを考えてきました。最初は戦闘員と同じようにアントマン0000号という方式を考えていましたが、考えていくほど数字とアントマンの存在感がうまく結びつかなくなりました。
人間由来の悪の秘密結社に所属する戦闘員であれば、人間だった人物に番号が与えられ、衣装や装備まで組織の規格へ揃えられたうえで、戦闘員という一個体へ置き換えられていく流れが自然です。そこでは人間が組織によって分類され、名簿へ収められること自体が重要になります。しかし、自分の中で想定しているドルゲは、単なる人間社会内部の秘密結社ではありません。人類という種そのものに敵性を持つ、より概念的な存在として捉えています。
そのため、アントマンに人間側の数字を付けてしまうと、そこへ人間が作った管理システムの匂いが残ってしまいます。戦闘員の場合には、その人間的な管理感覚こそが魅力になります。名前を失い、衣装を揃え、装備を統一され、最後に番号を与えられることで、もともとは別々の人生を持っていた人間が同じ規格の一体として並んでいくからです。
ところがアントマンでは、むしろその規格そのものをドルゲによって上書きしていくことに魅力があります。人間を人間の名簿へ登録するのではなく、人間社会の側で当然だと思われていた名前や身体のあり方、個人としての区別そのものが、ドルゲという異質な体系の中へ取り込まれていくのです。人間を組織の規格へ押し込むのではなく、人間社会の規格そのものが別の秩序によって塗り替えられていく。その違いが、アントマンを考えるうえでは重要になります。人間を並べて管理する視線ではなく、人間だったものが別の秩序へ取り込まれていく過程そのものを見ることになります。誰が何号なのかを確認するのではなく、そもそも人間として区別していたものが通用しなくなる。その感覚が、戦闘員とは異なるアントマンの魅力につながっています。
こうして考えると、戦闘員とアントマンは、人間を別の存在へ変えるという点では似ていても、その方向が逆なのだと思います。戦闘員は、人間を組織の名簿へ変換します。名前を持っていた人間から個人史を切り離し、同じ衣装と装備を与え、最後に番号を付けることで、秘密結社の中で反復可能な一個体へ変えていきます。人間だったという過去を消し去るほど、現在の番号と姿だけが強くなっていくわけです。
それに対してアントマンは、人間を名簿の一個体へ整理するというより、人間社会そのものをドルゲの体系へ引き込んでいく存在として考えたほうが、自分の中ではしっくりきます。そこでは人間が作った分類へ収まるのではなく、人間の側が異質な分類によって捉え直されていきます。人間としての名前や立場を残したまま怪異に加わるのではなく、そもそも人間を人間として理解するための枠組みまで変質していく。その感覚に、アントマンならではの怖さと魅力を感じています。
戦闘員には、同じ姿の者が何体も並び、それぞれに四桁の番号が割り当てられている状態があります。誰が誰であるかを示すものが名前ではなく番号になり、同じ装備を身につけた身体が名簿の上で一体ずつ管理されていくことで、人間が組織の部品へ変わっていく感覚が強まります。一方のアントマンでは、同じような個体が増えていくこと以上に、もともと人間だった存在が次々とドルゲ側の体系へ取り込まれ、人間社会とは別の規則で理解されるようになっていくことに意味があります。
つまり、戦闘員が人間を個体へ変える方法は、規格化して番号を与えることです。それによって人間は組織の一体として反復可能になります。それに対してアントマンが人間を変える方法は、人間の側の規格そのものを怪異によって上書きすることです。前者では人間が組織に合わせられ、後者では人間社会のほうが怪異の体系へ合わせられていきます。
同じ人間の変質を扱いながら、片方は人間を名簿の一個体へ変え、もう片方は人間社会そのものを別の体系へ変えていく。私はこの方向の違いを意識することで、戦闘員とアントマンをそれぞれ異なる個体化の形として考えられるようになりました。
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